今ここが中心であるという思考

今ここで生きていく

命を守るために備わった人類の能力なのだが…

歳のせいなのか地球の状況が悪くなっているのか「気象病」の症状が年々悪くなっている。未だに「気象病」の認知度が低いのは悲しいところ。

 

気圧の激しい変化により交感神経と副交感神経のスイッチがうまく切り変わらず血流異常などを引き起こし”頭痛””めまい””咳””吐き気”などなど様々な異常をきたす。

文字で見る症状だけだと「大した事ない」と思う人もいると思うが結構しんどい。

 

いきなり嵐のように訪れて心身に壊滅的なダメージを与えてくる。まさに気象のように…。

 

気象病の症状の出方も個人差がある上に気圧が下がる時に発症する人、気圧が急激に上がる時に発症する人、気圧が先々(数時間後)に下がる予定の状況で発症する人など発症のタイミングも個人差があるので一体これは気象病の症状なのか別の疾患なのかという判断が難しい。

 

気象病あるあるとして体調不良が出ると

  • ずつーるなどの気圧の変化がわかるアプリを開く
  • 天気図などを見る
  • TwitterなどのSNSで同じような症状でつぶやいている人がいないか見る

そのうえで体調不良が気象病なのかそうでないのか判断する。

(あくまで個人的な判断方法です)

 

そして、気象病の症状だと確定した段階で次の手としてなんとか症状を緩和させるためにストレッチや投薬などの方法にシフトする。

 

血流の滞りなどが原因という事もあるのでお風呂に入るなども有効とはいうもののいつでもシャワー浴びれますとかお風呂に入れますって人なかなかいないので他の方法で対応するしかない。

 

鎮痛剤を飲むほどの頭痛でもないケースとかもあるのでその場合、私は「葛根湯」を1錠飲むようにしている。軽いケースの場合、それで改善する事も多いです。

葛根湯は身体を温める効果もあるので気象病の症状の原因になる血流の滞りという部分が解消されて体調回復する可能性があります。プラシーボかもしれませんけどね。

あくまで私の場合、それで改善する事も多いので興味があったら試してみてください。

 

にしても気圧の変化で体調不良になるというのは、やはり厄介ではあるものの狩猟時代にこの能力があったために人類は生きながらえたとも言われています。

 

低気圧が近づくと天候も荒れやすい状況となります。今の時代であれば天気予報で天気が悪くなることはわかるのですが、そんなものがない時代では知らずに狩猟にでて急激な天候悪化で命を落とすという事が普通に起こっていました。

 

それではいずれ人類は壊滅してしまいます。人間は繁栄にためにそれを避ける必要がありそのために低気圧が近づくと体調不良を起こすような能力をつけたと言われています。

 

そして、その子孫が現代を生きているので気象病に悩む人も当然多いという話を聞きました。

 

そう聞くと凄い能力だなと思うし歴史も感じられますが、必要以上に気圧に敏感に反応する身体を「生存能力高すぎだわ」ってちょっと嫌味を言ってしまう今日この頃である。

屋根の積み重ねで月に届く可能性が出てくる

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目標を達成しやすくすると言われている「ムーンショット」や「ルーフショット」。

 

ムーンショットとは、現状ではとてもじゃないけど達成できないような事を目標する事を指しルーフショットは、少しの努力や改善で達成可能な目標とされています。

 

少し前の話になりますが、マスターズを勝った松山選手は昔からずっと「マスターズを勝ちたい」と言い努力を重ねてアジアで初のマスターズ制覇を成し遂げました。

 

アジアで誰も成しえていないマスターズ制覇という目標はまさにムーンショットだったと思います。

それを成就させるためにどれだけのルーフショットを重ねたかは想像もつきません。

 

2020年の頃には、マスターズ制覇はムーンショットではなくルーフショットというくらい近い状況になっていたのかもしれないと思います。

 

何を言いたいかと言うとムーンショットは本当に大きな目標だが、ルーフショットをクリアしていけばいずれムーンショットだったものがルーフショットに近くなるくらい実現可能な目標になるという事。

 

文章で書くのは簡単だが、実際ルーフショットをクリアしていくのはかなり困難で大半がめげてしまう。それをめげずにやり続けられた人だけが月への切符を手にすることができるという事なのだろう。

 

ムーンショットのような現在不可能だろうなと思う目標に関しては未知な部分が多いので夢など書けるがルーフショットのような短い時間で結果を出すような目標となると苦手にしている人も多いと思う。

 

目標とは、単純に「〇〇したいです。」というよりも「〇〇までに〇〇を達成します。」というように数字を明確にすることが大事と言われています。

(学生ならテストの点や会社ならどのくらいの期間で売上を〇〇%達成とか。)

 

しかし、この数字を持たすといきなりプレッシャーが跳ね上がる。

この期間までにこの数字をクリアする事ができるのか?

というよりも自身はどこまでどきるのか?

など疑念が頭を駆け巡る。

そして、できなかった時なんて言ったらいいかわかないから目標を立てるのが嫌だという思考に陥ったりもする。

 

数字がクリアできるか不明というのは、自身がそれについてチャレンジしていないので指標がないのでわからない。というのが実際の問題だろう。

 

もし、期間内に達成できず未達になってしまったら失敗ではなく

「なぜ達成できなかったのか?何が足りなかったのか?」

と自身にフィードバックをして学べばいい。そうやって自身のできる部分を知りルーフショット目標を達成することが大事だ。

 

どんな目標を立てていいかわからない人は、ムーンショットのようにぶっ飛んだ目標を立てた上でそれに向けてどんなルーフショットが必要になるのか考えて行動を起こせば良いと思います。

【両者OK思考】相手の世界観を尊重する

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Respect Other Person`s model of world→相手の世界観を尊重する。

 

なかなか相手の世界観を尊重するという事は難しい。

頭で相手の世界観を尊重するという意識があれど結果話合いの中で自分の世界観を尊重して押しつけがちになる。

 

「別に相手の世界観なんてどうでもいい。」と言う人もいるでしょう。それも間違いではないと思います。世の中で正解不正解なんて自身が決める事であり(犯罪などは除く)生きる道というのは、その人のものだから他人がどうこう言う事は必要はないとも思っています。

 

そんな中でも私はなるべく「相手の世界観を尊重する」ように生きていきたいと思っている。

 

決して自分の意見は”無”という事ではなく自分もOKで相手もOKであるというのを理想としている。

 

なぜ、相手の世界観を尊重する事を大事にしているかというと、この思考があると人に対して上だ下だという思考がなくなるからです。

 

人生は、もの凄く個人的な事であり幸せの定義もそれぞれだと思います。

 

沢山のお金があれば幸せという人もいる。その反面、最低限生活ができるだけのお金があれば幸せという人もいる。そんな中でお金を沢山持っている事が上で年収が低い人間は下という見方をする人もいる。

 

幸福度や年収などの研究している人からすればお金を持っている人が幸せであるというエビデンスがあるという人もいるでしょう。エビデンスから言えば正解なのでしょう。なのでそこも否定しません。だけど、それが上や下という事を決める事にはならないと私は思っています。

 

人生というのは、必ず波があります。良い時もあれば悪い時もある。もし、お金や成功を指標に上や下という事を決めると良い時の振る舞いが悪い時にそのまま自身に帰ってきます。

 

良い時に悪い振る舞いをしている人と良い時に相手を尊重するように振舞った人ではおそらく前者よりも後者の方がその後の人生において違いがあると思っています。というよりもそう信じています。

 

なので私は「どんな時も相手の世界観を尊重し両者がOKである」という事を理想に生きていこうと決めている。

 

虐められる側にも問題があるとはなんぞや

「虐められる側にも問題がある」この思考にはいささか疑問がある。

 

最近もケースは違えど有名人が誹謗中傷を受けそれをネットなりYoutubeに晒した結果「誹謗中傷を晒すのも誹謗中傷だ」という意見をしている人がいた。

 

これは、先に言った「虐められる側にも問題がある」と似た思考だと私は思う。

 

そもそも何故虐められる側に問題があるという話になるのか。

凄まじくご都合の良い話だと私は思っている。

 

この思考の根本について詳細はわかならいのでこの言葉が生まれた理由を予測の範囲で書くが、簡単に言えば虐められる側の過去に虐められるような言動があったからという事なのだろう。

 

確かに過去に虐められていた側が虐めていたなら”虐められる側にも問題はある”という理屈で納得をするが虐めてもいない人が突如として虐められて結果としてそれにも問題があるという理屈はおかしいのではないだろうか。

 

ではなぜ上記の理由以外で虐めが起こるのか。

 

単純に虐めを実行した人間が虐めの対象が気にくわないという理由だろう。

細かく言えば他にも色々あるのだろうけど、結局のところ虐めた側の心理状態が不安定で偏った思考状態である事は間違いないだろう。その理由が家庭環境だろうがなんだろうが虐めた人間が「虐めたい」と思う事で虐めが始まる。

 

その事実の中で「虐められる側にも問題がある」という理屈は虐められる側が不憫でしかない。

この言葉を含めて「誹謗中傷を晒すのも誹謗中傷」なんて言葉も認められる言葉ではない。もし、これを認めるとなれば全て「やったもん勝ち」でありやられた側は泣き寝入りをしなければならない事になる。

 

完全におかしいでしょ。

 

虐めは虐めた奴が悪い。誹謗中傷も同じくそれをした奴が悪い。

これが一番シンプルじゃないのだろうか。

今ここが中心であるという思考

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はじめまして。

 

久しぶりにblogを気分のままに書きたくなって

”今ここが中心であるという思考”を開設しました。

 

このblogを運営していく”いまここ”と言います。

 

今はとにかく書きたい事を書いていこうと思うので単なる雑記blogになると思います。

 

記事が増えてこの事を中心に書いていこうと思ったら特化型のblogになるかもしれませんが当面は雑記型のblogで色々な事を不定期に書いていこうと思うのでよろしくお願いします。

 

という事で記念すべき1記事目はかなり簡潔に締めたいと思います。

ありがとうございました。