「いつも」や「ぜったい」という口癖の裏側にある心理
本日は、「主観的になりすぎていないか?」という事をテーマにしていこうと思います。
主観的とは
主観的の意味なんて知っているという人もいると思いますが、今一度正確な意味を知る為に記載すると主観的とは、自分ひとりのものの見方。感じ方。などを指します。
主観的という言葉の意味はこれにあたりますが、ものの見方や感じ方という部分が非常に深い部分となります。
過去の記憶などが影響する主観
ものの見方や感じ方は、過去に経験した事などの記憶が大きく影響してきます。
それらの経験が主観を形成する元になります。
非常に記憶が重要となります。しかしながら、脳は記憶する際にとある処理をするという事は知っていますか?
記憶する際に脳が行う処理
以前、似たような経験があると脳は近い記憶をそちらに寄せるように処理します。なぜそのような事をするかというと目から入ってくる情報は大量なため全てを処理するとなると相当量のパワーを使う事になります。脳疲労という言葉ありますがその状態になってしまいます。
そうなると生きるという事に支障をきたしてしまうのでなるべく処理を軽くするために脳は一般化や歪曲などの処理を行い記憶にします。
よくある例として「〇〇って言われました。」という記憶に対して第三者に「本当にそう言われましたか?」と質問され、冷静になりよくよく考えたらニュアンス的にちょっと違ったという事はありませんか?
私はあります(´-ω-`)
一般化や歪曲が招く都合の良い記憶
人は、この一般化や歪曲などを行う中で自分に都合の良い方に記憶をつくりがちです。
記憶が古ければ古い程そのようになります。
「昔はよかった」という言葉はありますが、その当時と今に差はあれど記憶と今の差は実際そこまでという事もあります。美化される記憶などは、そのように自身でもっている可能性が高いです。
良い記憶に関しては、問題になりませんが悪い記憶に関しては、それが影響して主観も偏った見方になってしまいます。
しかしながら、気づいていない人は、その記憶がすべて正しくそれで形成された主観も正しい。その結果、自身が間違いなく正しく他が間違っていると度々揉め事を起こしがちになります。
主観が強い人の口癖
主観が強い人の口癖として「いつも」や「ぜったい」という言葉を頻発します。
「いつも旦那(奥さん)が話を聞いてくれない」や「ぜったいにあの人は私を嫌っている」という言葉を聞く事があると思います。
「いつも話を聞いてくれない」については、「本当に何も聞いてくれないの?」と深堀していくと実際は話はしているや「嫌いって言われたの?」と聞くと実際はそう思っていただけで相手も別に嫌っていなかったというケースがあります。
嫌いとも言っていないのに嫌われている主張するケースとしては、その人が過去に自分を嫌った人の行動や表情に近しいという事が原因だったりします。
主観が強すぎると起こる問題
兎にも角にも良く人間関係でもめます。
主観が強い人は、自分の考えが強くそれが正解であって相手の言っている事は不正解と思いがちになります。そうなるとコミュニケーションという部分で結構苦労します。というか自身の主張ばかりになってしまうのでコミュニケーションが取れません。
アドラーも全ての問題は「人間関係」と言い切っていますのでその部分が問題となると社会での生活や夫婦関係の継続などでの問題も起こります。
人間関係のもつれは、非常にストレスがたまります。それにより病気になったりもします。
身体を壊したや人ともめて本当に怖い事なったという事がない限り、主観の強い人は、”社会のせい””環境のせい”など自分ではない誰かのせいにして生きていきます。
今一度考えてみる
主観が強いのが悪いというような書き方になってしまいましたが、基本的に人間は主観的です。
しかし、あまりにそれを全面に出してしまうと生きていく中で「なんで自分だけこんな風になっているんだ」と思い悩む事が増えてしまいます。
なにより自身が主観が強いという事に気づかずに生きているので、何が悪いのかわからないという事態になり(パニくっている状態)〇〇が悪いというキーワードが出てきがちになります。
もし今自分が上記のような事に思い当たる節があるなら今一度自分があまりにも主観的で相手の気持ちを考えていないのではないかと考えてみる事で事態は急転するかもしれません。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。