「自分は何も持っていない」と悩む人が陥りやすい思考とは…
「誰しも何かを持っている」という言葉を聞きます。
確かに何かを持っているかもしれません。しかし、それはあなたが欲しい何かとは限りません。そして、現状「何も持っていない。」という人もいます。
しかし、何も持っていないから希望も何もないという訳ではありません。
何もないからこそ
「何も持っていない。」これは、すなわち「何かを得られるキャパシティがある。」とも捉えられます。だから、あくまではじめに「現状」何も持っていないという表現を使いました。
「何か」を持っているとは
この「何か」は、別に生まれ持った才能や能力だけで「何か」と表現されている訳ではありません。
その道で結果を残す人は、元々センスや才能もあったでしょう。しかし、それが全てを占めている訳ではなく、その上で努力を積み重ねた。原石をしっかり自分で磨いて結果として「何か」になった訳です。
では、その原石は生まれた時点から持っていないと「何か」を得る事はできないのでしょうか?
原石は途中でも得られる
例え、今その原石が見つけれてないくても、それを持っていなくても別に良いと思うのです。
何も持っていないなら持てるものを探せばいい。
何もないから絶望などする必要はありません。何かを持つという事は、なくすことだってある訳です。
生まれた瞬間からの原石を持っていようが持っていまいがどちらでも良いのです。
生きていく途中でその原石を見つけ「自分なりに磨いた」結果として「何か」になるという可能性もあると私は思います。
最後に
今、自身がその原石を持っているかいないかは、本人が一番よくわかっていると思います。
人は、「持っていない」という言葉を嫌います。自分には、特別な才能があると信じたい、何もないなんて辛すぎると思うでしょう。しかし、周りに「あなたの考える何か」を持っている人が沢山いるでしょうか?
この質問に対して「たくさんいる」と答えられる人は、その「何か」を幅広く捉えれている人だと思います。しかし、「いない」と答える人は、「何か」を特別、格別な部分で見ているのです。
誰が見てもキラキラ輝くような人、何か飛びぬけた才能を持って皆に一目置かれている人などが「何かを持っている人」と思っているのです。
それぞれの価値観なので、「何か」をどう捉えるかに対して何かを言う気はありません。
しかし、芸能人や著名人、プロや誰もが認める芸術家などがその「何か」の分類と思っている以上は、「何か」を見つけるのは難しいでしょう。
もし今その原石を探している人の中で見つからずに苦しんでいる人は、自身が考える「何か」のイメージがあまりに崇高なものになっていないか考える事も大事だと思います。これは、自分探しなどでも言える事だと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。