「イメージ」が自分を作っている可能性を考えてみるのも一考
「誰かを演じる」気づかないうちにそんな風になっていませんか?
こんな人演じてみてと言われている訳じゃないし、私は私だから演じていないと言うと思います。しかし、気づかぬところで演じている可能性があります。
「誰かを演じる」というと、ドラマなどで配役があってその人になりきるというイメージを持っていると思います。
確かに誰かを演じるとは、そういう事です。
しかし、ドラマや映画でなくとも俳優や女優という職柄でなくとも演じている可能性があります。
その原因は、人がつけたあなたへのイメージ。
私とはどんな人か?
自分自身を俯瞰して冷静にどんな人か理解するのって非常に難しい事ですよね。
今はどうかわかりませんが、私がバイトをしている時代には、履歴書の欄に長所や短所を記入する場所がありました。
その項目に来ると「長所とは?短所とは?」と必ず悩むんですよね。
そしてそこで浮かぶのが、よく友達からはこんな風に言われるなという人がつけたイメージ。
その当時は、それに対してなんの疑いもなく自分はそういう人間なんだなと思っていました。しかし、この人からのイメージを自身として受け入れると非常に生きづらくなったりします。
つけられたイメージを演じる
親から友人から好きな人から自身がどんな人というイメージをつけられます。
”優しい””怖い””明るい””暗い”などなど本当に色々なイメージがあります。
ここで一旦自身がつけられたイメージを思い浮かべてみてください。
それについて一つ質問をさせてください。
「それは本当にあなたですか?」
それは私ですと言い切れる人は、自分を冷静に見れていると思うので良いですが、もしその質問に「もしかしたら…」と一瞬でも思う節がある人は、人のイメージで自分を演じている可能性があります。
例えば、「あなたは真面目」というイメージを持たれ自身が「自分は真面目」と思うと「本当はさぼりたいしやりたくもないのに、私は真面目な人間なのだからサボったりやらないという不真面目な選択をしてはいけない」と思ったりする訳です。
知らずに蝕まれる自身のメンタル
こういう状況に気づかず自身の本音とは違う行動をしている人は必ずいます。
自分自身が思う事や感じる事とは別の次元で人のつけたイメージを演じ続けるとどうなるか?
ストレスが溜まります。
適度なストレスは身体に良いとも言いますが、このイメージからのストレスは適度では済まないので、蓄積した末に気づいたら心身に異常が出ていたというケースに発展します。
病気などになり原因を見つけようにも自分のイメージが自身にダメージを与えているという事は、まず考えません。仕事や学校、友人関係など別の場所に原因を探します。
そして、なんとなくその中に原因っぽいのがあってそのせいだと一旦は落ち着くのです。
少し休み心身は一時的に回復します。根本的な理由に辿りついていない状況では再発してしまいます。
心身の不調が再度起こると、人はまた原因を探し始めます。心理学の中には、原因論は意味をなさないという考えもあります。ですが、原因を知りたいと思う心境も私はわかります。原因を知ったから変わるかと言われれば原因があくまで過去のものであれば変わらないと言えますが、もし人のイメージが原因で体調の不良が起こっているとしたら原因を知る事も有用と考えます。
人のイメージなのか冷静に考える
実際、今の自分像というものが本来の自分なのかどうか見つめる事が大事だと思います。
これは、自分探しなどではなく、自分の本音とイメージに相違がないかという確認です。自身が感じるズレによる違和感が一番心身に負担をかけます。
私の事ですが、以前記事にしましたが「べきべき思考の人間でした」。
その一因として、人に「真面目」や「仕事が早い」などのイメージを持たれていました。その時は、私は真面目なんだとか仕事が早いのが売りなんだと思っていました。真面目なら「こうあるべき」、仕事が早いなら「この時間で完了するべき」という考えばかり気づけばその思考が定着していました。結果、身体を壊しました。
今回書いた記事は、勉強をしてそうすれば良いという思考の話ではなく、自身が経験しそういうケースでも心身に異常をきたす要因の一つになるよという話です。
そして、このイメージからの心身の異常は気づかないと本当にどこまでもメンタルを落としていきます。
考えられる原因を全て潰しても心身の不調が改善しない。そうなると次に人が考えるのは病名をつけた医師の腕が悪いや薬の効果がないというあらぬ方向に舵をきってしまいます。
そうならないために、もし今心身の調子がなかなか良くならないという状態に直面しているのなら一度自分が人のイメージで生きたりしていないかを考えてみてください。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。