今とは昨日の明日で明日の昨日。

今ここが中心であるという思考

意味のある努力と意味のない努力とは。

意味のある努力と意味のない努力とは。

 

私は、努力に意味があるないはないと思っている。

 

努力は努力であり、例え方向性の違う努力であったとしても本人がその方向に可能性があって努力をしたのであれば、いずれ何かの役に立つと信じている。

 

こんな事を言うとそういう思考をお花畑という人もいるでしょう。

 

その時点でその目標や目的に達成できていないから未達という面を見れば、無駄という事になるでしょう。というのも理解はできるが、社会だけでなく他の部分、学校生活や部活などといった部分まで波及しているのは正直どうなんだろうと思う。

 

何が正しい努力なんて先の先までわからない。

 

現時点で結果が出ない事を意味のない努力と切り捨てるのももっともらしい事だけど、その発言で努力をしなくなってしまう事がかなり深刻な問題だと思う。

 

俗に言う無駄な努力の方向に新たな可能性があったにも関わらず、切り捨てられてやれなくなってしまい結果としてその可能性を見つけられずじまいという事もありうる。

 

それでも可能性を追い続けたもののみが掴めるという話はあるけど、そもそもみんながみんなそんな鋼のようなメンタルを持っている訳ではないし、人の意見でブレてしまう事だった普通にある話。

 

別に自身が信じる可能性を追う事が特別な事ではない。

 

世間では、抜きにでた人間は、他人の意見にブレずその方向を信じて努力した結果、そこに辿りつけたというように言ったり書いたりするが、そもそも努力に意味があるないなんて事を言わなければもっと色々な可能性を持った人が出てくるんじゃないかと思っている。

 

どんな人のどんな努力も努力できる事自体が素晴らしいという言える人間であり続けたい。