今とは昨日の明日で明日の昨日。

今ここが中心であるという思考

自分の声にそっと耳を塞ぐ。

自分の声を聞かない事も必要かもしれない。

 

よく「自分の声に耳を傾けなさい」と言われる事があります。

 

でも、必ずしも自分の声が「良い事」「正しい事」を言っているとは限りません。

 

自分の声も判断を誤ることがあります。

 

どこかで自分の声がこう言っているからそれが正しいという錯覚に陥る事がありますが、自身が「都合良くそうありたい」「それが正しいと思い込みたい」そんな思考を正当化したい時に利用する時もあります。

 

自分の声が思考からひねり出された言葉なのか。それとも、本当に降ってくるようにひらめいた言葉なのかというのは見極めたいところ。

 

その精査は簡単じゃないけど、もし、自分の声が間違っているならそっと耳を塞ぐ事も必要なんじゃないかと思う。